大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和45年(ワ)122号 判決

原告 森孝行

被告 一宮市

右代表者市長 伊藤一

〈ほか三名〉

右被告四名訴訟代理人弁護士 水口敞

同 岩瀬三郎

同 棚橋隆

主文

一、原告の、

(一)被告一宮市に対する請求はこれを棄却する。

(二)その余の被告らに対する請求はいずれもこれを却下する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告)

別紙訴状請求の趣旨に記載のとおり。但し訴訟費用については「訴訟費用は、被告らの負担とする。」と訂正。

(被告ら)

主文同旨の判決。

第二、当事者の主張

(原告の請求の原因)

別紙訴状請求の原因に記載のとおり。

(被告らの答弁)

一、請求の原因一項について

認める。

二、同二項について

昭和四三年度において、原告が当初学級の専任教諭でなかった事実及び原告主張の辞令が発せられた事実は認める。原告は、昭和四三年四月に入ってから二年一組の体育三時間、クラブ活動一時間を受けもった。

三、同三項について

学級の専任教諭にせよと要求のあった事実は認める。

四、同四項について

被告安達正衛が富士小学校の校長在職中、違法な校務処理があった旨の主張事実は否認する。

原告を、同年度、学級の専任教諭にしなかったのは、原告が前任校の西成小学校で受持児童に暴力を振い昭和四二年六月一日一宮市教育委員会教育長から、児童に対し暴力を振わないようにとの文書訓告をうけ更に上司たる校長の注意をうけ、暴力を振わぬ旨誓約書を入れながら、その後もこれを無視して受持児童や学校の女子事務職員に暴力を振ったり、同年一一月一〇日本来非公開とすべき児童名記入のソシオグラフ(交友図式)を保護者に配布して、父兄から抗議を受けたりするなど、専任教諭にすることを適当としない事実を考慮した為である。

五、同五項について

原告を学級の専任教諭にしないことが正当性を欠いたり、違法であるとする旨の主張は争う。

六、同六項について

被告一宮市教育委員会が原告を司書心得に発令した事実は認める。

七、同七項について

(一) 昭和四四年度において、原告は二年二組の専任教諭である。同学級には同年度今一人長谷川勉が専任教諭にいた。(学校教育法施行規則二二条本文)

受持時間は、原告が二六時間中一四時間で副担任

長谷川が二六時間中一二時間で正担任

である。

助教諭岡田は、三年三組の担任で助教諭であるが、学校教育法施行規則二二条但書に基く専任の教諭の地位に在る。

(二) 右に反する原告の主張は争う。

八、同八項について

(1)(2)の主張事実は否認する。

九、同九項について

(一) 愛知県人事委員会において、正担任にせよとの措置要求に対する判定のあった事実は認める。しかし原告主張の「二つの理由」について事実認定がなされたことはない。

(二) 右判定において正担任にするか、副担任にするかは校長が、学級管理能力を比較して決定するものである旨明示された。

(三) その余の主張事実は争う。

一〇、同一〇項について

原告の要求を受け入れなかった事実は認める。

一一、同一一項について

原告が、愛知学芸大学を卒業し、小学校一級普通免許状を有し二六才の、県費負担教職員である事実は認める。

一二、同一二項について

争う。

一三、同一三項について

争う。

学級の専任教諭が複数いた場合、誰を正担任にするかは、学級管理能力の総合的判断の結果学校長が決定するものである。

一四、同一四項について

前記答弁の事実に反する部分は否認する。

一五、同一五項について

原告が教諭としての法律上の身分を違法に侵害されているとの主張事実及び名誉を毀損されている旨の主張事実は否認する。

一六、同一六項について

争う。

(被告らの主張)

一、被告一宮市以外の被告らに対する請求について

原告は、被告一宮市のほかに被告一宮市教育委員会、同安達正衛、同富田宣貞に対しても不法行為責任を問うているが、これらの被告はいわゆる国家賠償法一条にいう被告適格を欠き、訴は却下せらるべきものである。

即ち、国家賠償法一条にいう公共団体の責任は、公務員の不法行為責任を代って負担するという、いわゆる代位責任であるといわれる。そして被害者救済のために資力の完全な国ないし公共団体が責任を負担する以上、職務の執行に当った公務員は行政機関としての地位においても、個人としても被害者に対しその責任を負担するものではないとして、被害者に対する関係においては公務員個人の責任を免除したものといわれている。

従って、被告一宮市を除くその余の被告に対する本訴請求はその訴訟要件(被告適格を誤っている)を欠くものとして却下せられるべきものと考える。

二、被告一宮市に対する請求について

(一) 右国家賠償法一条の適用上問題となる権力作用の瑕疵とは、公務員の外部関係すなわち第三者に対する職務上の義務違反より生じた不法行為というべきであるところ、本件にあっては原告は被告らとはいわゆる特別権力関係にあって権力作用の働く外部関係にはないのである。特別権力関係における行為でも内部行為と外部行為(一般市民としての権利義務に関するもの)に分け、後者についてのみ司法権の介入を認めるといわれているが本件では学内での配置換という教育効果向上という行政目的のもとに採られた極めて内部関係で処理するにふさわしい問題であって、懲戒免職等の一般市民としての権利義務に関するものではなく、右配置換をもってこれの違法性を争うことは司法権の及ばざるところと考える。

尚、附言すれば、右被告安達、同富田の原告に対してとった配置換は特別権力関係内部の服務に関する裁量行為であって(当、不当の問題はともかくとして)全く不法行為上の問題とはなり得ないものである。そして、国家賠償法一条が、公務員の不法行為の存在を前提とする以上、本件原告の請求はその要件を欠き失当というべきものである。

(二) 次に右の点はともかくとして、国家賠償法一条適用要件の一つである公権力による違法な法益侵害には「公権力の行使が適法要件を欠くことによって、違法な法益侵害となる場合」と「公権力の行使としてもともと法の許さない行為をし、又は法の許さない結果を生せしめる場合」といわれている。

これを本件についてみれば、学校長たる被告安達、同富田の原告に対してとった本件各配置換は、何等違法な権力作用ではなく、且法益侵害というべきものではない。即ち、学校教育法二八条三項の「校長は校務を掌り、所属職員を監督する」というのを基にし、被告一宮市教育委員会制定の一宮市立学校管理規則一四条一項は「校長は校務分掌に関する組織を定め、所属職員に分掌を命じ校務を処理しなければならない」と規定し、学校長に対して配置換等を含む校務分掌命令、監督権を与えているのである。そして学校長は職員の配置に関しては学校教育法施行規則二二条の「小学校においては、校長のほか各学級毎に専任の教諭一人以上を置かなければならない。但し特別の事情があるときは、校長が教諭を兼ね助教諭を以て教諭に代えることができる」との規定によって当該教職員の学級経営、管理能力を総合的に判断して、自由裁量に基いて配置換をなしうるものというべきであって、右規則は教諭の免許あるものにはいかなる事情があれ、専任教諭としなければならないというものではない。

本件では被告安達が昭和四三年度、原告を専任教諭からはずした配置換の件と被告富田が昭和四四年度、原告を専任教諭としたが副担任であった件についてはそれぞれ右施行規則二二条但書にいう特別な事情があったためであり、何等違法なものではない。右の特別な事情とは前記答弁四項で述べたほか次のとおりである。

昭和四二年度原告は一宮市立西成小学校に在職し、五年二組を担任したが、その年度において①担任児童に対する数回にわたる暴力(体罰)行為を行なったり、未だ事の当否の判断が未熟で精神的にも可塑性に富み、教師の言動に大きく影響を受けやすい児童に対して粗野な言動、礼儀作法、服装で望み、児童に対し悪影響を与え、これらがため児童が原告に対しておびえる感じを抱くに至り、或いは又父兄の間からも原告の学級担任継続に対する非難の声等原告に対する信頼感が欠如していたこと、②原告が学校内の統一的指導方針、秩序に違反して担任児童に対してのみ下校時刻を守らせなかったり、③同僚女子職員に対して二度にわたる暴力行為に及んで同僚間の協調性を欠くが如く、原告には児童の範たりうるにふさわしくない諸行為があったため、昭和四三年度においては右西成小学校より富士小学校に転勤したものの、被告安達は、西成小学校時代の原告の所為からして未だ経験の浅い原告には学級担任に必要な学級経営、管理能力が十分でないと判断し、折柄原告が読書好きであることを勘案し、被告一宮市教育委員会の発令をえたうえここに原告を図書館司書に配置するに至ったものである。

又昭和四四年度においては、被告富田は原告が教育者としての経験と自覚を少しずつ備えてくれることを考えて取りあえず学級専任教諭には配置したものであるが、直ちに正担任とすることは従来の西成小学校在職中の所為からみて学校の一管理者として教職員に対する指導、監督すべき地位にある被告富田としては教育効果の向上を期しがたいおそれがあると判断し、他の専任教諭長谷川勉をもって正担任とした次第である。

被告安達、同富田のとったそれぞれの配置換の点はいづれも原告の将来にわたる良き教師となることを願って、一面、児童、父兄の信頼に応えるべく教育効果向上、学級経営、管理能力を総合的に判断してなされた合理的な裁量行為というべきであって、学校教育法施行規則二二条但書に所謂「特別な事情」たりうるものである。

(三) 更に又被告安達、同富田には本件配置換という職務命令につき何等故意過失も存しないのである。

両被告は学校長として学校という営造物の管理者として教職員に対する指導、監督権と教諭を通じて児童教育を掌さどる地位にあり(学校教育法二八条三号、四号)、それは常に教育効果の向上を期しているのである。

本件にあっては未だ学校教育の経験に乏しい原告に対して児童、父兄、同僚からの信頼の一日も早い回復を期待し、原告の将来ある教育者としての成長を期するという専ら原告の利益を考えたことと、他方原告を学級専任ないし正担任にした場合に生ずる教育効果の減少の点と、原告の学級経営、管理能力を総合的に判断して行なったものであり、これは学校長としての職責の当然の遂行以外の何ものでもなく、法益侵害に対する故意ないし過失があったということは全くあり得ないことである。

(被告らの主張に対する原告の反論)

一、被告一宮市以外の被告らは、被告適格を欠くものとするが、本件の如く被告らに故意又は重大な過失ある場合においては、公務員個人についてもその不法行為責任を認めるのが憲法一七条の趣旨よりみて相当でありこれを認めた裁判例もある。

二、特別権力関係理論を前提とする被告らの主張は、既に右理論そのものが、学界においても否定されてきているのであって失当であることは明らかである。

三、被告らの答弁のうち四三年四月から体育三時間を担当したこと、又その主張にかかる特別事情に該るとする事実のうち、文書訓告のあったこと、誓約書を提出したこと、児童や女子職員とに実力を行使したこと、ソシオグラフを配布したこと、下校時刻を守らせなかったことは認めるが、文書訓告については訓告に足る事実はなかったものであるし、誓約書については校長のこん願によりこれに応じたもので、児童に対し実力を行使したのは適法な懲戒の範囲内のもので、いわゆる暴力に該るものではない。又、ソシオグラフの配布も教育的配慮に基きなしたもので、これらにより父兄の信頼が失なわれたことはない、その余の事実は争う。

四、いずれにせよ、被告らが本件各所為をなすについては、事前に原告に対する事情聴取もなく一方的な資料に基いてなされたもので教育基本法六条、I・L・Oユネスコの「教員の地位に関する勧告」の精神に反している。このように正当な理由なく原告から学校教育法二八条四号七号及び同法施行規則二二条に定められた教諭たる教員の法律上の権利である専任教諭(学級担任)の地位を奪った真実の理由は原告が日常なしてきた正当な組合活動、教育実践に対する制裁であり、被告らの主張は理由がない。

第三、立証≪省略≫

理由

一、原告の主張はその趣旨必ずしも分明とはいい難いが、これを善解するならば請求の要旨とするところは、被告安達が昭和四三年四月において、又被告富田が昭和四四年度において教諭の免許のある原告を学級専任(担任)教諭にさせなかったこと及び被告一宮市教育委員会が昭和四三年四月司書心得に任命した各所為をもって学校教育法二八条四号、七号、同法施行規則二二条に違反する行為であるとして、国家賠償法一条により右被告ら及び被告一宮市に対して損害賠償として、被告一宮市に対し慰藉料の支払を、その余の被告らに対し、謝罪の意思の陳述を求めるところにあるものと認められる。

二、ところで、かかる国家賠償の請求において、被害者が加害公務員個人に直接に損害賠償請求をなしうるか否かについては多少見解の分かれるところであるが、当裁判所は国家賠償法の趣旨からみて被害者はつねに国又は公共団体に対して損害賠償を求むべきであり、公務員個人に対し直接に請求することは許されないものと解する。

従って本訴請求のうち、被告一宮市を除くその余の被告らに対する請求は被告適格を欠く者に対する訴であり、訴訟要件を欠く不適法なものとして却下を免れないものである。

三、そこで被告一宮市に対する請求について判断する。

(一)  請求の原因一項及び二項の事実は当事者間に争いなく、≪証拠省略≫によれば、昭和四四年度において原告は二年二組の補助担任として一週二六時間の授業のうち国語九時間、音楽三時間、体育二時間計一四時間を担当し、主担任の長谷川教務主任がその余の教課で一二時間を担当する旨、校長である同被告により決定されたことが認められる。

(二)  ところで、原告は、教諭であり、学級の専任教諭(学級担任)として児童の教育を掌るのが一般であるところ、これと異り原告は昭和四三年度及び四四年度において前記の如き校務を担当せしめられたものであるから、これが原告主張の如き事由に基くものであれば、学校教育法に基く原告の教諭としての法的地位を違法に侵害するものとして国家賠償の対象となりうるものと解するのが相当であって、特別権力関係における単なる内部規律の問題にとどまる場合とはその性質を異にするものといわねばならない。

(三)  そこで前認定の本件被告らの所為の当否につき考えるに、前記争いのなき事実と当事者間に争いなき原告に対し、一宮市教育委員会教育長から文書訓告のあったこと、前任校において、誓約書を提出していること、児童や女子職員に実力を行使したこと、ソシオグラフを配布したこと、下校時刻を児童に守らせなかったことと、≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

(1)  原告は前任地の西成小学校において五年二組の学級担任をしていた昭和四二年当時、担当の児童に対し、その教育の課程において、ときに感情の赴くまま、手でたたいたり、胸ぐらをつかむなどしたため所謂暴力を用いたとして、父兄から校長に対し抗議があり、校長からの注意に対し、暴力を用いない旨の誓約書を校長に提出したり、一宮市教育長から文書による訓告をうけ乍ら、その後も時に同様の行為にでていた。

(2)  学校で定められた下校時刻を守らず、児童を居残りさせたため児童の帰宅が他の学級の児童より相当におくれることがあったり、また本来非公開として取扱うべきものと考えられているソシオグラフ(交友図式)をPTAの授業参観の際資料の一つとして配布したりなどして一度ならず父兄から抗議がなされた。

(3)  運動会の合同練習にあたり学年全体が協力して時間割に従いなすべきところ、これに従わず独自に練習したため、他の学級の教師が迷惑をうけ校長に対しその旨連絡があった。

(4)  その他給食時間の取扱い、学校で共通に購入する物品の取扱い、クラブ活動などに際し独自の行動をとることが多く他の学級担任者が迷惑をうけることが多かった。

(5)  昭和四三年春の異動により、原告が西成小学校から富士小学校へ転任となったが、同校々長であった被告安達は西成小学校の鬼頭校長から右のような原告の種々の行動歴、それに伴う教職員、父兄との信頼関係の実体、その他人物評価などをきき教頭、教務主任の意見を徴した結果、原告を学級担任からはずし図書館担当として様子を見守りながら指導しようとの意図の許に、被告一宮市教育委員会の学校司書心得に任命する旨の発令を得たうえ、学校図書館専任とする旨決定しこれを掌らせることとした。

(6)  翌四四年度になり右安達の後任校長となった被告富田は、前任校長である被告安達或いは教頭などから原告に関する従前の経過の一切、図書館専任となってからの活動ぶり、人物の評価などをきき、原告の学級管理能力を考え、図書館専任から二年二組の学級担任、但し長谷川教務主任の補助担任として週一四時間、三教課を担当するよう決定しこれを掌らせることとした。

(四)  以上認定の諸事実からすれば、当時同校において助教諭であり乍ら、学校の正担任となった者がある(この点は当事者間に争いがない)一方、教諭である原告がこれと異り右のごとき校務を掌るよう決定されたとしても、校長としての被告安達、同富田がかように決定したことには相応の根拠があり校務を掌り所属職員を監督する立場にある校長として当然許さるべき合理的な裁量行為の範囲内にとどまるものであると認められるし、また被告一宮市教育委員会のなした前記発令が法令に準拠した正当なものであることは本件弁論の全趣旨に徴し明らかである。(原告は右被告らの所為が原告の平素の正当な組合活動、教育活動に対する偏見に基く不当な制裁としてなされたものであるとするが、これにそう≪証拠省略≫は前掲各証拠に照らし採用しがたく、他にこれを認めるに足りる証拠もない。)

四、以上のとおりであって、右各被告らのなした各所為が故意過失に基く違法のものであることを前提とする原告の被告一宮市に対する請求はその余の点につき判断するまでもなくその前提を欠き失当であるからこれを棄却し、その余の被告らに対する請求は前述のとおり不適法であるからこれを却下することとし訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 上野精)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例